好きな歌を聴きながら

映画、パフォーマンスが好き。大学生が気の向くままに思ったことを書いていきます。

言葉にしてしまうという恐ろしさ

こんばんは。

 

ちゃんと人に伝わるような文章を書こうと思って始めたブログですが、今日でそろそろ1か月になります。そして、それを進めていく中で面白いことを見つけました。タイトルにある通りになりますが、『言葉にしてしまうことの怖さ』です。どんなことを思ったかを簡単に書いていきます。お時間があればどうぞお付き合いください。

 

早速ですがこの話に関係のある、とある名言を紹介します。

『言葉が変われば、行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる』というものです。有名なのですでに知っているのではないかと思います。

 

 

これはつまり、使う言葉や、小さな意識を少しずつ変えることで人生に多大な影響を与えるというものです。今回僕が思ったのは、これに近いことで、言葉にすることによって自分の考えががその言葉に近づいてしまうというものです。

当たり前のように感じるかもしれません。例えば『あの子可愛いよね~』とか『僕は嵐の曲が好きなんだ』と言っていると、本当にそうなるということです。

 

 

ここで一つ気になったのは言葉では自分の思っていることを100%表現することはできないということです。

例えば、僕が音楽を好きな理由を言葉にしようとすると、「気分を変えられる」「良い言葉や表現に出会える」「恋しているような気分になれる」といった具合になります。そして、僕が音楽を好きな理由は1つ目のもので、これが一番しっくりきます。

ただ、僕が音楽を好きな理由はこれだけではありません。他にもいっぱいありますし、今の自分では気が付いていない良さも、もしかするとあるかもしれません。(きっとそれはきっとよく似た好きなものに出会った時などに気付くのでしょうが・・)

そんな中で僕が音楽を好きな理由を先ほどのように言葉にしてしまうことで、自分の中にその考えを強く自ら刷り込んでしまう様な気がします。それだけではありません。それ以上の思考を止めて、自分の中のもっと大切な何か、まだ気づいていない何かに蓋をしてしまうような気がするのです。

 

自分が考えているのこと中のたった一つでしかないものが、気が付けば自分の核になってしまうようで不安に感じたので気になってこのようにメモしてみました。

価値観とは荒削りであれ何であれ、ひとまず自分の考えはこれだと思うものを見つけるだけでできるんだなと思いました。

 

 

 

もう一つ、自分の好き嫌いだけではなく自分の感情は完全に表現できません。

「ずっとあなたのことを誤解してた。ごめんなさい。」と言われた時の嬉しさと照れと、安堵感、過去に対する喪失感や諦めなどの入り混じった感情。このように激しく高鳴った気持ちは表現しようがありません。

それに対してただ、楽しかった。とか辛かった。なんて文字にするわけにもいかず、定量的に嬉しさ〇〇%なんて言ったってその感情は本物でもなく、来月の僕が再現することはできないと思います。

 

そう思うと、ふと、自分は今を生きているのだな。とか、このもやもやをどうしてやろうか。などとワクワクしてしまいます。

今はまだ表現しきれない気持ちや考えを言葉にせずに、お腹の中に飼っておきたいと思います。少しの間はこれ以上何者にもならずに、本物の自分を探すぞー!

とりあえず、多感な今のうちに多くの感情や行動を経験してみます。無理だと思うけど、語彙を1000倍くらいに増やしたいな。(こういう適当なことを言うとそれが自分の核(やることリスト)に入ってくるから良くないと知りながら・・)

 

今日はこれで終わりにします!ありがとうございました。